振り返りながら進みたい曖昧レポート

まずは書き始めてみたい、気がした。

人の目さえあれば私は正しくいられるのだ

今日も出勤。予定よりもかなり遅い出勤。

定時なんてものはあってないようなところに転職して早2ヶ月。

 

今もサラリーマンには変わりがないけれど職種柄なのか、社長と社員の人柄なのか、とにかく緩い。

スタッフが事務所へ集まってくるのは週に3回、お昼過ぎから。

(これでわかる人には分かってしまいそうな気がするけれども。)

基本的にやることさえ終わらせればOKなスタイルだし、だからこそ転職した。

(それが最近若干揺らいでいることはいつか書こうと思う。)

 

ここでタイトル【人の目さえあれば私は正しくいられるのだ】に繋がる。

中小企業でフルタイム勤務だったころは遅刻なんて早々しなかったし、

もし夜更かしをしてしまって寝坊なんてしたものならスッピンをマスクで隠して出勤。

それでも間に合わなければ電話で勤務開始時刻前には平謝りで電話をしていた。

 

でも、今は、違う。いくらでもサボれる環境。それを咎められることもない環境。

【人の目がなければ私は正しくいられないのだ】

それを転職して再確認したのである。

 

はじめてこれに気がついたのは高校から大学へ進学した時だった。

 

小学生時代は皆勤賞、児童会長、成績も良かった。

中学生の頃は学級委員に何度も立候補したし、部活でもリーダーをしていたし、

高校生のころはバイトや趣味に忙しく過ごしつつも、成績はいつも学年で10位以内だった。

自分でもはっきり言えるほど、優等生だったと思う。

 

そして大学へ進学。

友達も少ないし、誰も私のことを知らない。

高校に入ってから何も言わなくなった家族が更に何も言わない。

遅刻しても休んでも誰にも怒られない。

 

そうなると途端に私はだらけてしまった。

やりたいことだけやるようになった。やりたいことだけのために働いた。

そして私は夏休みを迎え、夏休みを勝手に延長し、自主休講を続け、最後には自主退学した。

家族も大学もやめるときになってようやく私がサボっていたことに気づいたのだろうか。

私はいつも誰かに相談することができない。相談するときはもう半分諦めているとき。

「思ってたのと違う」とかそんなくだらない言い訳をしたと思う。

 

私は、誰かに怒られるかもしれない、とか

誰かが見ていて褒めてくれるかもしれない、とか

人の目を意識していなければ正しい行動ができない。

 

大学を辞めて10年近く経って、私を取り巻く環境も、もちろん私自身も随分変わった。

だからもうそんな自分の癖ようなものはすっかり治った気になっていた。

 

それが今、どうだろう。自分の癖を日々痛感させられている。

誰か私を見ていてくれよ。そうしたら私は正しく居られるのに。

そうやってまた私は自分の行動さえも無責任に人に押し付けようとしてしまう。

 

自らを律するというのはとても難しい。

自分で決めて自分で行動する。ダメそうなら早いうちに誰かに助けを求める。

少しずつ少しずつ自分を変えていきたいなと思う今日この頃。

 

 

 

 

とりあえずテスト投稿

ブログを書くのは高校生以来だ。

何を書こうか、大まかにしか決めていないけれど。

まずは行動!を身に付けたい28歳の私がひとまず始めてみようと開設。

 

考えなければ行動できない。

でも考えれば考えるほど行動できない。

結局行動しない。

 

そんな決断力のない私がどうしてこうなったんだろうとか、

今後どうしていこうとか、あの時こうしていたらな、とか書いて行く予定です。

 

不特定多数に公開するブログはほとんど初めて。

まずはきちんと続けるところから。